2009年1月21日水曜日

包丁を研いで世界に触れる


包丁を研ぐのは面白いと思う。結果が切れ味として端的に現れる。

包丁は時々研ぐ。だから、以前研いだ時のことは忘れていて、日常生活の気持ちのまま、パソコン操作や、洗い片付けと同じような感じで、包丁と砥石に向かってしまいがちだが、それだとなかなか上手く研げない。

物理的には単に刃が鋭角になっていれば良いのだが、その断面が作れない。そもそも作ろうなどと思って作れるほどの腕は無く、機械でも無いので、下手に考えてやっても鈍らな切れ味にしかならない。

砥石を水に浸け、十分に水を吸うまで待ってから、ぐらつかないように砥石を固定し、包丁を手で支えて研ぐ。気持ちを、包丁の刃先の、いま研がれつつある金属の断面と、砥石の擦れ合いつつある接触面に集中する。押して引く。押して引く。

他のことを考えながらやらない方がいい。指先に伝わってくる傾きと、すり減りつつある金属のざらつきの感覚を感じ取ろうとつとめる。最初はとても単純な関係、手と包丁と砥石、などという抽象的な関係しか見えていないが、徐々に手指から包丁の金属のモーメント、金属のねばりなどが、解像度を増して把握できるようになる。さらに先端へ。

時々、試し切りで野菜くずをきったりする。親指の腹で触っても感じないようななまくらな刃では、押し切るような感じだ。それがやがて研いでいる内に、ある時から、刃先のかなり先端まで、どうなっているか分かるようになる。研がれている刃先にまで、自分自身が拡大したような感覚だ。肉眼で見えるわけではないが、まるで拡大鏡で目一杯拡大してスローモーションで見ているような、高密度な時空間解像感が得られる。すると研ぎ上がる。

野菜くずが薄紙のように切れるようになる。親指の腹で刃に触れるとゾクリとするような。

これが「世界に触れる」という感じ、私にとってのリアルの好例である。

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