2010年3月27日土曜日

松陰神社前で買い物散歩

妻に連れられて松陰神社前まで世田谷線でお出かけ。
素敵な店がたくさんあった。妻の調査力と街力に感服しました。

ついてすぐ、駅そばのさわやか系の店でカプチーノを頂きました。
フィランジェーリ(イタリアンカフェ)
http://www.nabana-deli.com/
カプチーノ350円!安いけど、おいしい。ピースマークをココアで描いてありました。ここで、目的のパン屋の場所を聞いたところ、すぐ裏とのこと。4時に焼きあがること、すぐ売り切れることも教えてもらいました。

目的のパン屋は、ここ。
ブーランジェリー スドウ(パン)
http://d.hatena.ne.jp/Boulangerie-Sudo/
お洒落なブティックのようなお店です。丁寧に作られた綺麗なパンが並んでいて、並ぶ端から売れてゆきます。いろいろ買ったけど、まだ食べてません。娘はチョコパンを食べて、すごくチョコレートしていて美味いと言ってました。

パンを買った後、文具屋へ。小さなお店。
デスクラボ(文具)
http://www.desklabo.net/
小さな店内に可愛らしい輸入文具が並んでいます。何か覚えがあると思ったら、
吉祥寺の36(サブロ)
http://www.sublo.net/
や、経堂のハルカゼ舎
http://harukazesha.net/
に似てますね。流行りかな。

文具屋に妻を置いて、私は、
美の輪寿司(テイクアウト寿司)
http://seehoo.exblog.jp/3469121/
に行き、いなり寿司とかんぴょう巻きの詰め合わせを買いました。後で調べたら名店らしい。すでに頂きましたが、優しい丁寧な味で美味しかった。この店はいいですね。バッテラや穴子も食べたいな。また行こう。

最後は、
‘OLU’OLU(ドーナッツ)
http://345setagaya.blog.so-net.ne.jp/2010-01-28
でドーナッツを買い求めました。これまた素敵な店構え。昨日いったヒバリを彷彿とする懐かし系のお店でした。女性がひとりのんびり三時を過ごしていました。落ち着ける良い店です。妻がさっき食べてましたが、かなり美味しいらしい。

ということで、ずいぶんと贅沢な気分を味わえる散歩でした。

2010年3月26日金曜日

ごはん屋 ヒバリ

「ごはん屋ヒバリ」というお店に行った。
http://www.tegamisha.com/hibari/
私の徒歩通勤コースの途中、野川から離れるあたりに、神代団地という大きな古い団地がある。その端にある商店街の中にひっそりとある店だ。妻と二人で散歩がてら訪れた。

開放的なピロティを囲む商店街の一角に、童話のように存在する。木造の小学校か、幼稚園といった外観に、シンプルな内装、本棚、内側に事務所がある。水木金土日曜の昼12--14時までのランチと、金土の夜は夕飯があるらしい。店名からして食事がメインなのだろう。今度、食事時に行ってみよう。

今日は喫茶で、コーヒーとチーズケーキをいただいた。おいしかったね。

日が暮れてゆく広場を眺めながら、ストーブで暖を取り、暖かな明かりの下、大きな木のテーブルで書きものをしながら時間が過ぎてゆく。贅沢な時間でした。

駅から離れた古い団地の中にあるので、カフェをやるにはロケーションは良くないと思う。団地に住む人が寄るのだろうか。筋の通った見事な店で、こういう店には長く続いて欲しいと思った。もし私が店をやるとしたら、こういう店だろう。一つの理想型かもしれない。

2010年3月7日日曜日

どうする日本

いま、日本が大きな変化の時代にある、というのは多くの人に共有されている認識だろう。もちろん日本に限らず世界全体が節目の時代にある、とも言えるかもしれない。今の、またこれからの日本の行く末に関連した以下の四冊を短期間に読んで、いろいろ考えるところがあった。少し書き残しておこうと思う。

[1]『コミュニティを問いなおす』広井良典
[2]『日本辺境論』内田樹
[3]『民営化という虚妄』東谷暁
[4]『福祉国家の闘い』武田龍夫

広井氏の視点は今の私にとって思考のベースとなっている。人類が急峻な発展を遂げたのは、長い人類の歴史でも過去数回しかなく、その間の時期はいずれも定常型の社会であった。急成長期とは、人類発祥時期、農業が発明された時期、そして科学が発明された時期である。資源・環境制約が厳しくなってきて、私たちは次の定常期に入ろうとしている。日本の高度経済成長にとって、都市に人工・資源・産業を集中させ、企業内村社会と従属する核家族で支えるという仕組みは、最適であった。しかし次のモデルが求められている。世界で最初に困難に突入する日本にとって、外にモデルは無い。

キーワードはコミュニティ、もう一つはケアである。しかし単純な処方箋は、この本には、ほとんど書かれていない(住宅施策や税制などの提案はあるが、終わりの章で扱われているように問題はもっとずっと根深い)。私たち皆が、どういう未来が欲しいのか考え、自分たちの手で掴みとるしかない。

内田氏の『日本辺境論』は、かなり売れているらしい。が、けっこう曲者な本である。口当たり良く書かれているが、内容はメタ認知的であるため、理解は難しい。日本は常に辺境でありつづけることで、上手く立ちまわってきた。日本人には、中心から遠い村はずれに位置するというメンタリティが抜け難くあって、時に情けない思いもするが、必ずしも卑下することではない。聖徳太子は中国に対し「高等なボケ」をかまして見事に振舞った。その意味で現首相は聖徳太子の末裔かもしれない。

さて、この日本人の特性が効果的でない時期があって、それは日本が先頭になってしまった時だ。外部の良いところを巧妙に取り入れて、アマルガムにしてゆく才能を持つ日本人が困ってしまうのが、先頭を走ってしまう時だ。そして残念ながら、いま世界の変化の時代にあって、ある意味、先頭を走ってしまっている。経済発展という意味では、日本は技術立国のぎりぎりの所まで行ってしまっている。省エネや環境問題に関しても、乾いた雑巾と呼ばれるほど効率化されている。世界に先駆けて極端な少子高齢化に突入する。公共投資による経済対策も限界だ。何もかもが八方ふさがりで、世界を見渡して、ここまで行ってしまった国はない。

東谷氏が書くのは、なつかしき「郵政民営化」である。日本中が祭り騒いだ、あの総選挙。つい最近のことなのに、皆忘れてしまったかのような、あの時期だ。郵政民営化は、何か良い結果を生んだのか?東谷氏は、何も生まなかった。むしろ害ばかりであった、と書く。

郵政民営化の論拠の多くが、諸外国での郵政民営化が成功したから、というものであった。日本人は、外国でうまく行っているとか、外国が始めたとか、外国から言われた、と言うのに極端に弱い。しかし、彼が示すデータからは、手放しで成功した事例など全くないことがわかる。民営化したら、世の中が良くなるなんていう簡単な話では無いのだ。

ちなみに私は、役所の無駄遣いを無くすとか、役所をリストラするとかいうのも、わかりやすいだけで、我々が抱えている問題を解決するのにほとんど役に立たないと思っている。

武田氏は、スウェーデンの実際の姿を具体的に説明してくれる。福祉国家として、まるで北方の楽園であるかのようなイメージしか、多くの日本人は抱いていないだろう、あの国が、いかに大変なのか良くわかる。少なくともこの本を読んで、スウェーデンに住みたいとは全く思わなくなった。私には無理だ。

スウェーデンの高い税金は、多くの福祉予算に使われているが、その大半は高齢者福祉と医療である。しかし高齢者が幸せな生活を営んでいるか、というと、そうではない。実に孤独な寂しい、かつ厳しい老後を送っている。金で片付く問題ではないのだと思う。人と人との豊かな繋がりを下支えする工夫が必要なのだ。

ちなみに、この本は2001年の本で、当時スウェーデンの自殺率は日本と同程度であった。が、今の日本の自殺率はずっと高く、欧米との比較では第一位、ハンガリーやロシアなど広い範囲で比較しても世界第六位の高さとなってしまった。

どうする日本、である。

2010年3月5日金曜日

シャキーンの「この空」という曲

NHKの『シャキーン』という番組が好きだ。番組の中で歌われる曲がいい。エンディングテーマが好きで良く口ずさむ。るるるの歌も好きだ。最近のシャキーンでは『この空』という曲が流れている。

これまで実のところ、この歌は今ひとつだなぁ、と思いながら聞いていた。聞いていたのは月曜日から木曜日。それが、金曜日に聞いて「あっ」と驚いた。そうだったのか。これはいい曲だ。

実は上記HPにも書かれているが、この歌には2つのバージョンがある。一つは、つのだ☆ひろが歌う男性バージョンで、雄々しい感じの曲だ。そして、もう一つが、あやめちゃん(女の子)が歌うラップソングだ。月曜日から木曜日は、それぞれのバージョンが日替わりで交互に流れている。それぞれで聞くと、悪くはないが、それほど印象に残る曲ではない。ところが金曜日は、この二つの歌が同時に歌われる。その時はじめて、この曲の本当の姿が見える。

下記YouTubeに、金曜日バージョンがアップされている。
http://www.youtube.com/watch?v=FJG5uw9It3U
卒業式なんかに歌ったら、かなりシビれるだろうな。

『シャキーン』では、こういう構成の妙を随所に味わえるのがすごいと思う。

2010年3月3日水曜日

インタラクション2010で見えた希望

インタラクション2010という会議に参加して、残念な印象を持ったことを、ここに書いたが、2日目に参加して少し救われる思いがした。フェアな感想という意味で、それも書き残しておこう。

一つは、人間の奥深さに迫ろうという萌芽が見えたことだ。しばらく前から暦本さんらは、人体の機構である、視覚認知、筋電、皮膚電気抵抗などを活用した研究をシリーズで発表している。今回も複数の発表があった。彼らの研究は、人間探求の出発点に位置づけられる。どれも実用には遠いが意志を感じる。他にも古くからのUI研究者が関わった研究に方向性として近いものがあった。私の考える方向とは違うが、その「もがいている」様子は頼もしく感じた。

また、どちらかというとアート系の発表の中に、人間とのインタラクションを真剣に見つめているものがいくつかあった。世間一般に流布している「いわゆる」人間ではなく、彼らなりに人間を考え、その仮説に基づいて、作品を作っている。これらも、まだ本質を掴んでいるようには見えなかったが、その意気込みには共感した。

なお、残念ながら自然現象の奥深さへのアプローチは皆無に近かった。ただ波動方程式を使って動きのある模様を描いたり、呼吸しているような布の動きを追求したり、数理的なモデルの方面から探求しようというアプローチがいくつかあって、一つの可能性として評価したいと思った。

ところで、こういった会議で紹介される膨大な数の研究の多くは、アイデアメーションの類だろう。その膨大な捨石の中から、光を放つものが生まれる。アイデアメーションは数が多くないと意味がない。そういう少し引いた視点にたてば、この会議もそんなに捨てたものじゃない。たぶん、今は端境期にあたるのだろう。

2010年3月1日月曜日

新鮮さを失ったインタラクション

今日、インタラクション2010に参加した。コンピュータのユーザインタフェースに関する発表会だ。これまでに何度も参加したのだが、このところ新鮮味がかなり失われている。主たる原因は、私自身が単に年寄りになった、ということだと思う。ただ、この分野自体がエネルギーを失っているのだとも思う。これほどの参加者・発表者を集めながら、それでエネルギーを失っている、というのは随分な言い草だとは思う。分野として成熟した、という言い方もできる。

今日、論文賞を受賞した若い研究者が、やりたいことがたくさんあってワクワクしている、と感想を述べていた。それを聞いて、彼らにはまだフロンティアが見えているのだと、それが新鮮に感じた。あの会場に集まった大勢の若い研究者たちは、新しい世界を切り開こうとワクワクしているのだ。その熱気は伝わった。

ツールがそろってきて、作られたシステムの仕上がりが上等である。ハードウェアあり、ソフトウェアあり、芸術系あり、生活系あり。その分野の広がりと、見栄えの良さ。見事だと思う。私が熱心にやっていた10年前からすると、彼らの方がずっと上等で、雲泥の出来だと思う。

それでも今日、私自身はほとんどワクワクできなかった。寂しい感じを抱きながら、会場を後にした。

私自身の関心が、コンピュータというよりは、人間に移っているのが大きい。人間の奥深さ、面白さ。それと自然現象の奥深さにも強い関心がある。人間と自然現象、この二つへの洞察が感じられる発表がほとんど無い。それは無いものねだりなのだから、インタラクション2010に求めてはいけないのだろうか。どうしても玩具に見える。それはそれで良いのだけれど、狭い箱庭の世界に閉じている感じがする。

キャンパスを出て、商店街や、山や海に出向いたらどうだろう。自動車や自転車など乗り物と一体になったり。スポーツ、トレイルランニングとか、散歩とか。武道とか。そういう人間や自然の奥深さに出会える場所で、コンピュータを生かすことを真剣に考えるのが良いように思う。