2009年2月24日火曜日

宮崎は元気か

出張で宮崎に行っていた。

出張前に天気予報で見たら花粉が飛びまくっている、とのことだったので恐れをなしていたが、雨だったので大丈夫だった。そのため宮崎にいる間は花粉症が治まって大変楽であった。

出張先は山の中の発電所だったのだが、周りの杉山は全面赤茶色で、葉には満載の花粉であった。ぞっとした。これが天気が良くて、風が強いような日だったら、酷いことになっていたろう。

前日までWBCのキャンプが行われていて、大変な賑わいだったらしい。ぶつからなくて良かった。

タクシーの運ちゃんと話をしたが、プロ野球やJリーグのチームがたくさんキャンプに来てくれるので、にぎわってありがたいと言っていた。それもこれもジャイアンツが50年にもわたってキャンプに来てくれたからだ、と言っていた。きっと宮崎には巨人ファンが多いに違いない。

また昨今は県知事がTVで日本中に宮崎の広告をしてくれるので、これも最初で最後だろうと言っていた。昔は宮崎がどこにあるのか知らない人が多かったとのことだ。

けっして財政や景気は良くはないらしいが、中心街はかろうじて寂れておらず、シャッター街にはならずに済んでいる。人々の表情も悪くなく。元気さが街に感じられた。

仕事柄、地方に行くことが多いが、元気の無い街に行くと、とても寂しい気持ちを土産に持ち帰ることになる。宮崎は悪くない。

2009年2月21日土曜日

花粉症がはじまった

どうも花粉症が始まったようだ。

職場で仕事をしていると、こめかみの横辺りが痛い。鼻水が出る、目が重い。今年は早いな。もう花粉症か。私だけでなく、まわりの皆も同じような症状で苦しそうだ。先輩からは、早めに病院に行って、薬をもらった方がいいと言われた。さて、いつ病院に行こうか?

最近では新しい抗ヒスタミン剤ができているらしい。これは、ゆっくりと効果を発して、眠くなりにくい。私は市販の抗ヒスタミン剤(第1世代)を飲むと、恐ろしく眠たくなって、何もできなくなるので、病院に行って新しい薬をもらった方がいい。

都会はコンクリートジャングルなので、花粉の浮遊がなかなか収まらないらしい。広葉樹林のある田舎にでも引っ越したいところだ。ちなみに、花粉の季節にヨーロッパ出張をしたことがあるが、ピタリと症状が治まったのには驚いた。

そういえばオフィスから、実験室に移動すると症状が治まるな。そういうことか。実験室で仕事をすることにしよう。

こまめな掃除で部屋の中の花粉をなくすのも大事だな。さて、掃除するか。

2009年2月18日水曜日

ミスとともに生きる

帰り道に電車を乗り間違えて、自宅とは別の路線に行ってしまった、という話を後輩がしていた。

場所は新百合ケ丘、ここからは小田急の支線である多摩線が出ている。以前の多摩線は本数の少ないローカルな支線だったのだが、小田急が多摩丘陵を開発して一大ベッドタウンにして、さらに多摩急行という新しい種別を導入して、都心へ直接行き来できるようにした。

そのため、以前はまったく別のホームに移動しないと、多摩線には乗れなかったのだが、今は新宿からの本線に、普通に多摩方面行きの電車が入ってくる。後輩の家は、小田原方面に下った所にあるので、この多摩急行に乗ってはいけないのに、乗ってしまったということだ。

彼曰く、彼以外にも数人のご婦人が間違っていて、多摩線の最初の駅で逆方向のホームに移動していたとのことだった。けっこう頻繁に発生しているミスだろう。

人間は何故ミスをするのだろう。

その時のことを聞いたが、特にいつもと変わらない、ただ他のことを考えていて、うっかり乗ってしまったのだそうだ。うっかりとは何か。彼はほぼ毎日同じ場所で、同じ電車に乗っているのに、その日に限ってうっかりしたのは何故か。

そもそも急行、多摩急行、快速急行、準急、区間準急、各停とやたらに種類が多いのが間違いのもとなのだが。まぁ、それはおいといて、今日の話題は人間の方だ。

私は、住んでいる集合住宅に帰って来て、エレベーターに乗り込んで、思わず5Fのボタンを押したことがある。我が家は4Fだ。

これは私の職場がビルの5Fにあって、エレベーターに乗ったら5Fのボタンを押すように自動化されてしまっていたためだ。しかし普通ならシチュエーションを区別して、4Fのボタンをちゃんと押す。ところが、間違うことがある。

なぜ、その時に限って間違ったのか。

この時も特段焦っていたとか、体調が悪かったとかいうことはない。何か頭が別のことにとらわれていて、体の隅々まで注意が行き渡っていなかった。

土曜日に妻とイタリア料理屋に行った。食事と一緒にコーヒーを注文した。その時、ウェイトレスから、「コーヒーはいつお持ちしますか?」と聞かれて、私は、とても不安な気持ちをかかえながら、「食事の後で」と答えた。なぜ不安な気持ちになったかというと、食事の後に飲み物を頼むと忘れられることが多いからだ。だから普通は後から飲みたい時でも、一緒にとお願いする。しかしその日は客数も少なく、料理数も少なかったので、今日は大丈夫だろうと思って、後にした。

案の定、忘れられた。

先日ヒューマンファクターの専門家から、人間は1000回に3回ぐらいの割合でミスをする、と聞いた。これは特に焦っているとか、眠たいとか、腹が痛いとかではなく、普通の状態でも、その程度はミスをするのだそうだ。もちろんコンディションが悪ければ頻度が増す。ただし、ミスをゼロにするのはできない。

おとといのAmazonの配送ミスは、CDに最初にラベルを貼った人のミスであった。Amazonの在庫管理用のラベルシールが、違うCDに貼られていた。すべての在庫管理、配送処理はこの管理用ラベルシールで行われるので、最初にラベルを貼り間違えるとどうしようもない。ラベルを貼るのは人間だから、そこではミスが発生する。ただAmazonのすごいのは、そのミスの発生確率をとても小さく、1000回に3回ではなく、もっとうんと少なくしている点だ。うまくダブルチェック、トリプルチェックをかけているのだろうか。

別のことに気を取られていた。ちょっとぼーっとしていた。てっきりそうだと思い込んでいた。確認を十分にやっていなかった。色々な言い訳が後からできるけれど、何か本質をつかまえていないように思う。

人間はミスをするのがあたりまえの動物だ。これら言い訳は後付けにすぎない。たまたま露見したから言い訳をしているだけで、もっと頻繁にミスは、少なくとも3/1000程度はやっている。トラブルの形に現れないから、記憶に残らないだけだ。

さて、どうするのが良いのだろう。

2009年2月17日火曜日

Amazonの誤配送

昨晩届いたAmazonからの荷物に、注文した商品とは異なる商品が一つ入っていた。

これまで何年にもわたって膨大に注文してきたが、初めてのことだ。よくまぁこれぐらいの誤配送率で済んでいると関心する。妻も私と同じかそれ以上にAmazonを利用しているが、彼女は一度も誤配送を経験したことがないと言っていた。

誤配送を受けると、Amazonのホームページで、返品用のホームページに行って、手続きをする必要がある。順を追って入力してゆくと、返品用のシートと、宛名が出てくる。これらを印刷したものを同封して、送り返してくれと言われる。宅急便の着払いで近所のコンビニから送り返した。

昨晩遅くに一本、先ほど一本、お詫びのメールが届いて、進捗が刻々と知らされる。さすがだね。

実は、今回の注文は日曜日の夜に注文したもので、月曜日朝には発送した旨メールがきて、昨夕に荷物が届いた。特に特急便でお願いしたわけではなく、通常配送である。恐ろしく速い。千葉県市川市には巨大なAmazonの配送センターがあるらしいが、そこで働く人たちは大変だろうな。

2009年2月10日火曜日

山のおばあちゃん

土曜日の昼に祖母の訃報を知った。96歳。土曜の朝8時頃、静かに息を引き取ったと聞いた。

山のおばあちゃん、と呼んでいた。父方の祖母と母方の祖母とを区別するためだ。母の実家は、市街地から車で30分ほどかけて川沿いを遡り、山の中の細い道を登りきったところにある古民家である。背後には山だけ、家の前は向かい側の山波まで見通しのきく、すばらしい立地の家だ。冬だと九州とはいえ、かなりしんしんと冷え込む。そのかわり夏は街よりずっと涼しい。井戸水は冷たく、小川に足をつけると凍えるほどだ。

子供の頃は夏休みにしばらくやっかいになるのが恒例だった。夜になると、くつわむしが大きな音をがちゃがちゃ言わせてうるさかった。羽虫や、ががんぼがたくさん飛んで来た。ある夜、茶の間でみなでくつろいでいると、すごいスピードで弾丸のようなものが電灯にぶちあたった。カブトムシだった。

あの山の家で過ごした日々は、私を構成するなくてはならない経験になっている。心が帰ってゆく場所だ。

山の家には叔父夫婦と従姉妹、そして、山のおばあちゃんがいた。今は従姉妹達は嫁いで、おばあちゃんが居なくなったので、叔父夫婦だけだ。あの大きな家に二人なのか。そうか。

山のおばあちゃんのことを思い出すと、心の中にともしびのような暖かい気持ちがともる。小柄な、目がくりくりとした、とてもキュートな人だった。母に聞いた所では、娘時分は韋駄天のように足が速かったらしい。地に足がついた心棒のとおった人なのに、空気のように軽やかだった。

昨年の夏、家族で帰省した際に会ったのが最後になった。その時もそうだったけれど、いつも感謝を忘れない人で、食べ物にも人にも、両手をあわせて感謝をささげていた。その合わさった手が忘れられない。

こだわりが無くさばけた人で、妻と二人で話をきいたときに、あれっと思うような辛辣な話をさらりと、いつも通りの笑顔でするのに驚いた。母からも、そのさばけた性格を表す逸話をいくつも聞いた。

夏のくっきりとした日差し、木々の緑、夕日に照らされる山々、山一杯の曼珠沙華、子供の私を「さん」づけで呼ぶ、山のおばあちゃんの声、やわらかい方言、鳥の声、虫の声、風の音、私を形作る大きな山の記憶の中心に、今も山のおばあちゃんがいる。

妹と一緒に以下の弔電を送った。

訃報を知ったのは、雲一つない冬空の下でした。空気のように軽やかで、いつも笑顔で感謝を忘れない、おばあちゃんにふさわしい綺麗な空だと思いました。おばあちゃんのことを思うと、ともしびのような暖かい気持ちが、私たちの心にともります。お世話になりました。ありがとうございました。

2009年2月3日火曜日

パストラミサンド

日曜日に笹塚のAIRS BURGER CAFEに行って、パストラミサンドを食べた。1000円もするが、美味しかった。お洒落に野菜とパストラミビーフが挟んであって、食べごたえあり。

パストラミサンドと言えば、カーネギーデリのパストラミサンド(写真あり)ですね。出張時に一人で行ったのは、もしかして9.11前か。AIRS BURGER CAFEのは、そんな凄まじいものではなかったけれど、十分です。昼間っからエビスビールとパストラミサンド、至福ですな。

妻と娘は、クラシックバーガーを二人でシェアしていた。一人で食べるには大きいよね。

最近は豪華なハンバーガーを食べさせる店がたくさんできている。こんなムック本があるぐらい(持ってます)。見ているだけで、なんか嬉しくなるのだよね。ただ食いしん坊だということか。