2009年2月10日火曜日

山のおばあちゃん

土曜日の昼に祖母の訃報を知った。96歳。土曜の朝8時頃、静かに息を引き取ったと聞いた。

山のおばあちゃん、と呼んでいた。父方の祖母と母方の祖母とを区別するためだ。母の実家は、市街地から車で30分ほどかけて川沿いを遡り、山の中の細い道を登りきったところにある古民家である。背後には山だけ、家の前は向かい側の山波まで見通しのきく、すばらしい立地の家だ。冬だと九州とはいえ、かなりしんしんと冷え込む。そのかわり夏は街よりずっと涼しい。井戸水は冷たく、小川に足をつけると凍えるほどだ。

子供の頃は夏休みにしばらくやっかいになるのが恒例だった。夜になると、くつわむしが大きな音をがちゃがちゃ言わせてうるさかった。羽虫や、ががんぼがたくさん飛んで来た。ある夜、茶の間でみなでくつろいでいると、すごいスピードで弾丸のようなものが電灯にぶちあたった。カブトムシだった。

あの山の家で過ごした日々は、私を構成するなくてはならない経験になっている。心が帰ってゆく場所だ。

山の家には叔父夫婦と従姉妹、そして、山のおばあちゃんがいた。今は従姉妹達は嫁いで、おばあちゃんが居なくなったので、叔父夫婦だけだ。あの大きな家に二人なのか。そうか。

山のおばあちゃんのことを思い出すと、心の中にともしびのような暖かい気持ちがともる。小柄な、目がくりくりとした、とてもキュートな人だった。母に聞いた所では、娘時分は韋駄天のように足が速かったらしい。地に足がついた心棒のとおった人なのに、空気のように軽やかだった。

昨年の夏、家族で帰省した際に会ったのが最後になった。その時もそうだったけれど、いつも感謝を忘れない人で、食べ物にも人にも、両手をあわせて感謝をささげていた。その合わさった手が忘れられない。

こだわりが無くさばけた人で、妻と二人で話をきいたときに、あれっと思うような辛辣な話をさらりと、いつも通りの笑顔でするのに驚いた。母からも、そのさばけた性格を表す逸話をいくつも聞いた。

夏のくっきりとした日差し、木々の緑、夕日に照らされる山々、山一杯の曼珠沙華、子供の私を「さん」づけで呼ぶ、山のおばあちゃんの声、やわらかい方言、鳥の声、虫の声、風の音、私を形作る大きな山の記憶の中心に、今も山のおばあちゃんがいる。

妹と一緒に以下の弔電を送った。

訃報を知ったのは、雲一つない冬空の下でした。空気のように軽やかで、いつも笑顔で感謝を忘れない、おばあちゃんにふさわしい綺麗な空だと思いました。おばあちゃんのことを思うと、ともしびのような暖かい気持ちが、私たちの心にともります。お世話になりました。ありがとうございました。

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