2010年3月7日日曜日

どうする日本

いま、日本が大きな変化の時代にある、というのは多くの人に共有されている認識だろう。もちろん日本に限らず世界全体が節目の時代にある、とも言えるかもしれない。今の、またこれからの日本の行く末に関連した以下の四冊を短期間に読んで、いろいろ考えるところがあった。少し書き残しておこうと思う。

[1]『コミュニティを問いなおす』広井良典
[2]『日本辺境論』内田樹
[3]『民営化という虚妄』東谷暁
[4]『福祉国家の闘い』武田龍夫

広井氏の視点は今の私にとって思考のベースとなっている。人類が急峻な発展を遂げたのは、長い人類の歴史でも過去数回しかなく、その間の時期はいずれも定常型の社会であった。急成長期とは、人類発祥時期、農業が発明された時期、そして科学が発明された時期である。資源・環境制約が厳しくなってきて、私たちは次の定常期に入ろうとしている。日本の高度経済成長にとって、都市に人工・資源・産業を集中させ、企業内村社会と従属する核家族で支えるという仕組みは、最適であった。しかし次のモデルが求められている。世界で最初に困難に突入する日本にとって、外にモデルは無い。

キーワードはコミュニティ、もう一つはケアである。しかし単純な処方箋は、この本には、ほとんど書かれていない(住宅施策や税制などの提案はあるが、終わりの章で扱われているように問題はもっとずっと根深い)。私たち皆が、どういう未来が欲しいのか考え、自分たちの手で掴みとるしかない。

内田氏の『日本辺境論』は、かなり売れているらしい。が、けっこう曲者な本である。口当たり良く書かれているが、内容はメタ認知的であるため、理解は難しい。日本は常に辺境でありつづけることで、上手く立ちまわってきた。日本人には、中心から遠い村はずれに位置するというメンタリティが抜け難くあって、時に情けない思いもするが、必ずしも卑下することではない。聖徳太子は中国に対し「高等なボケ」をかまして見事に振舞った。その意味で現首相は聖徳太子の末裔かもしれない。

さて、この日本人の特性が効果的でない時期があって、それは日本が先頭になってしまった時だ。外部の良いところを巧妙に取り入れて、アマルガムにしてゆく才能を持つ日本人が困ってしまうのが、先頭を走ってしまう時だ。そして残念ながら、いま世界の変化の時代にあって、ある意味、先頭を走ってしまっている。経済発展という意味では、日本は技術立国のぎりぎりの所まで行ってしまっている。省エネや環境問題に関しても、乾いた雑巾と呼ばれるほど効率化されている。世界に先駆けて極端な少子高齢化に突入する。公共投資による経済対策も限界だ。何もかもが八方ふさがりで、世界を見渡して、ここまで行ってしまった国はない。

東谷氏が書くのは、なつかしき「郵政民営化」である。日本中が祭り騒いだ、あの総選挙。つい最近のことなのに、皆忘れてしまったかのような、あの時期だ。郵政民営化は、何か良い結果を生んだのか?東谷氏は、何も生まなかった。むしろ害ばかりであった、と書く。

郵政民営化の論拠の多くが、諸外国での郵政民営化が成功したから、というものであった。日本人は、外国でうまく行っているとか、外国が始めたとか、外国から言われた、と言うのに極端に弱い。しかし、彼が示すデータからは、手放しで成功した事例など全くないことがわかる。民営化したら、世の中が良くなるなんていう簡単な話では無いのだ。

ちなみに私は、役所の無駄遣いを無くすとか、役所をリストラするとかいうのも、わかりやすいだけで、我々が抱えている問題を解決するのにほとんど役に立たないと思っている。

武田氏は、スウェーデンの実際の姿を具体的に説明してくれる。福祉国家として、まるで北方の楽園であるかのようなイメージしか、多くの日本人は抱いていないだろう、あの国が、いかに大変なのか良くわかる。少なくともこの本を読んで、スウェーデンに住みたいとは全く思わなくなった。私には無理だ。

スウェーデンの高い税金は、多くの福祉予算に使われているが、その大半は高齢者福祉と医療である。しかし高齢者が幸せな生活を営んでいるか、というと、そうではない。実に孤独な寂しい、かつ厳しい老後を送っている。金で片付く問題ではないのだと思う。人と人との豊かな繋がりを下支えする工夫が必要なのだ。

ちなみに、この本は2001年の本で、当時スウェーデンの自殺率は日本と同程度であった。が、今の日本の自殺率はずっと高く、欧米との比較では第一位、ハンガリーやロシアなど広い範囲で比較しても世界第六位の高さとなってしまった。

どうする日本、である。

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