2008年4月26日土曜日

文は人なり、とは、どういう意味か

引越の準備のために、荷物の整理をしています。なるべく形式的に、燃えるゴミ、燃えないゴミ、まだ捨てられないもの、と分けるようにしています。ところが、中に、もう箱を見ただけで、「あ、危険だ」と思わせるものがあります。開けたら、ただでは済まないなというような。思い入れの詰まったような荷物です。今日の整理中にも一つありました。

中には就職したころの書き物や写真などが入っていました。新入職員研修の感想文の下書きが入っていました。つい先日、研修の対応で自分らの研究紹介をしましたが、彼らはどう感じたんでしょうね。昔の自分の文章は、ちょっとエッセイ臭いのが恥ずかしいですね。気取った文章です。でも、それを透かして、真面目な正直そうな横顔が見えるようにも思いました。当時は、自分の書いている感想文がどう読まれるか、ちょっと不安な気持ちで書いていたのを憶えています。しかし文章ってのは、自分が考えているよりも、多くのことを読む人に与えているんですね。

飛行船通信MLに書いたり、はてなに載せたりした文章も、いろんな人に、いろんな形で伝わっていて、実は、たぶん隠しようもなく私が表現されてしまっているのでしょう。私はそれを気にしませんし、逆に、そうであってほしい、と思います。

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