2017年10月8日日曜日

虚構の深さーメイドインアビスー

今期、興味を持って見続けたTVアニメーションに「メイドインアビス」がある。何も先入観なしに、毎週見続けた。原作のマンガも読んでおらず、ファンたちの書いた文章にも触れず、リコとレグの旅に付き合った。

最初の数話を見ている間はずっと違和感があった。主人公のメガネの少女、リコの行動原理が腑に落ちなかったためだ。それは、主人公だけでなく、出てくる人間すべてに大なり小なり感じる違和感だった。彼等はアビスという危険な洞穴に、何故潜ろうとするのか。価値ある遺物を収穫するという目的はあるが、それにしても危険である。

もちろん私たちの世界にも、洞窟を探検したり、北極を目指したり、深海に挑む冒険家たちがいる。しかし彼等は一種特殊な人たちであって、その他大勢の私たちは、なるべく危険がない生活をしたいと思っている。たまにはハンググライダーに乗ってみたいとか、バンジージャンプをしてみたいとか、冒険心を感じることも無いでは無いが、人生のほとんどは冒険とは無関係な時間を過ごしている。

何故か。損だと思うからだ。怖いからだ。冒険によって得られる価値よりも、日常の他の楽しみによって得られる喜びに価値を感じ、同時に低いリスクを想定しているからだ。小さなリスクによって得られる大きな価値に時間を費やそうとする。

よって、冒険者を描く過去の多くの作品では、冒険者の周辺に大勢の普通の人々を描く。読者の代弁をする存在を。冒険者は私たちの世界同様に特別な人々であると描く。それによって、私は自分の世界との地続きを感じ、リアリティを感じる。

これに対し、この作品ではアビスを取り巻く島の住民全体が、アビスに潜ることを前提に生活している。住民の価値観が、アビスに潜ることを最上として構成されている。それは主人公たち小さな子供たち、教育機関にまで、隅々に行き渡っている。

まるで軍事国家を見ているようだ。独裁軍事国家ではこういった特殊な価値観が隅々にまで行き渡ることがある。小さな子供が疑うことなく、危険に向かおうとする常識が支配する世界である。

リコは目を輝かせて、アビスに潜りたい、もっと深くに、と言う。もちろん彼女の特殊事情もあるのだが、その特殊事情は一種言い訳に過ぎず、彼女は心底行きたいと思っている。周辺の人物たちも、その価値観に関して異論なく共感している。

一種、不気味な世界である。可愛らしい絵柄の、滑らかなアニメーション、重厚な効果音と音楽、緻密な設定、ディティール、完成度の高い美しい作品と、この不気味な世界というアンバランスが、私に消化できない思いを抱かせる。

実は、もう一人の主人公であるロボットのレグが、私達と価値観の近い代弁者であることが、徐々に明らかにされる。レグは記憶を失っているため、視聴者と同じく無知な状態で世界に放り出されている。その相対化された視点から、この作品の世界の構造がゆっくりと明らかになってくる。彼らの価値観がゆっくりと理解できるようになっていく。

後半になって、主人公たちは過酷な状況に追い込まれていく。残酷な痛々しい表現が度々登場する。私は昨今、残酷描写が多く含まれる作品が好まれる傾向があると思う。かつてなら直接描かなかったような表現をあからさまに描く風潮がある。

しかし、その残酷な表現を、視聴者が許容できるか否かは、製作者にとって賭けであると思う。少なくとも私は、ただ残酷であるということで作品に高評価を与えることは無い。たしかに世界には残酷な一面もあるが、それを描かずとも読者に感動を与えることはできる。むしろ、作品としての必然性がなく、残酷描写を作者が喜んでいるかのような舞台裏が覗く作品には嫌悪感を感じる。

この作品は、私にとってはかろうじて、かなり微妙な瀬戸際で、必然性を感じさせることに成功している。

それは、アビスのディティールを丁寧に描き、対応する人間たちのアビス信仰を丁寧に描くことで、止むに止まれぬ必然として、主人公たちの冒険を描けているからだと思う。

さらに、最後あたりで新しい主人公ナナチが登場し、別の時間軸の、特殊な別のストーリーが語られる。これによって私達は、アビスという架空の中心に根をおろした、複数の具体例を知ることになる。

私はここにいたって初めて、これは私達の物語であることに気付いた。

この文章はその気付きについて語るために書き始めた。

例えば、私達は「科学信仰」に支配されている。科学の深淵に挑み続けている。ときに倫理の狭間をこえてでも、真理を探求しようとする。ノーベル賞は、境界を超えて、真理の深みに到達した白笛に与えられる賞である。

これは一種の狂気ではないか。わたしたちもアビスに住む人達と同じ危ういエッジにいるのではないか。

メイドインアビスは、私たちの世界とは違う虚構、特殊な世界の特殊な人達を、その環境、風習、価値観に至るまで、深く描いている。それによって、わたしたちの世界の構造、人間=ホモ・サピエンスという種の特殊性をあぶり出している。

これこそが指輪物語でトールキンが切り開いたハイファンタジーの醍醐味ではなかろうか。

今期の最後、最終回のエンディングで、地上に向かって放たれた通信気球がアビスを登っていくシーンが挿入されている。行きて帰りし物語の帰投を暗示させるシーンを見ながら、私は、久しぶりに本格的なファンタジー作品に出会えたことに深い喜びを味わった。原作者、監督含め関わった多くのスタッフに感謝したい。