2014年4月13日日曜日

論理哲学論考を読んで

『論理哲学論考』(岩波文庫)を読み終えた。単に読み終えただけで、細かく論証を追った訳ではない。とりあえず何が書いてあるか知って、それに対して現時点で自分がどう考えるかを知りたかったからだ。

読み始めてすぐに思ったのは、論理学の教科書のようだということだ。大学で論理プログラミング、ひいては数理論理学を学んだので、懐かしい、という印象が最初にあった。記号論理学の教科書的内容にそれなりに多くの項目が割かれている。

関数の扱いや等号理論にも彼なりの記述があって、それもなかなか面白かった。私が習ったのとは多少違うが、ラッセル・ホワイトヘッドのプリンキピアマテマティカ以降、どういう流れで、現代の数理論理学に来ているのかは知らないため、違いの意味までは追えなかった。ウィトゲンシュタインはゲーデルのことは知っていたのだろうか。

最初は哲学の本だと思って読み始めたら、論理学、それも意味論の話だったので、若干肩すかしであった。ところが全編を読んでみて、なるほどこれは哲学の本だと分かった。その自分の中での変化が面白かった。

私にとっての哲学的意味は、冒頭と最後あたりに現れる、語りえぬもののエッジに関する記載にある。沈黙しなければならない所に、人間は自然と点線を引いてしまう。それは私にとっては、神、美、善、夢想といった域外の何かである。彼は当然何も語らないのだが、ぎりぎりまで追いつめることによって、より鮮明に私の心に浮かぶ何か。ホラー映画で、化け物が登場する直前の、ぎりぎりの瞬間が最も怖いのと同じように。これは人間の思考のどういう仕組みだろうか。

訳者による注釈が丁寧で読みやすい。ラッセルによる解説も、たしかに勘違いはありそうだが、これはこれでラッセルの見方が読み取れて面白い。さらに訳者による解説もいい。さすが岩波文庫だと思う。

この『論理哲学論考』という薄い本にはたしかに、妖しい魅力がつまっている。私にはボルヘスの短編を彷彿とさせた。