2009年3月16日月曜日

食育という言葉がいつのまにか市民権を得ている

面白い記事があった。

西原理恵子氏の「食育なんて女をばかにしてる言葉」発言について思う。
http://blog.livedoor.jp/str_it/archives/50811836.html


先日、『この世でいちばん大事な「カネ」の話』を読んだばかりだったので、私にはすぐに思い当たる論調だったのだが、免疫の無い人には通じないよね。それは。

「手抜き育児のススメ」って、まぁこういうこと言う人がいないとね。日本人はまじめすぎるよ。食育が重要っては正論なわけで。正論をぶつからには、それなりの覚悟が必要ということだ。弱いものいじめになってはいけない。

いつのまにか市民権を得ている言葉ってのには注意が必要だ。食育っていうのは、体育や知育と並んで大事な、食に関する能力を育てることらしい。知らないうちに、「食育基本法」なんていう法律までできている。すげぇ。
昔ならった三大栄養素とか、しばらく前にはやった添加物とか、そういう知識を含んでいる。食事のマナーとかは入っていないようだ。

私自身は、食育は大事だと思うが、それは単に自分がおいしいと思うか否か、健康的か否かという、利己的な欲求に基づいている(健康で長生きするため、毎日の食事をおいしく楽しむため)。つまり、自分自身への食育ということになる。それに対して、子供の教育・しつけという観点からの食育には、若干意識が薄い。野菜を食べなさいとか、栄養が偏らないようにしなさいとか、朝食を食べてゆきなさいとか、間食をとりすぎるなとか、10時をすぎてから食べるな、とか、そういう経験的なことを言っていて、特に一貫性があるわけではない。まぁ世の中の大人の多くは、その程度の意識で、だから食育などと大上段に振りかぶられると、ビビってしまうのだろう。

私個人にとって、食事は人生の楽しみの大きな要素(睡眠の次ぐらいに大事)だが、世の中には食事の優先度が低い人も少なくない。それは人それぞれだ。また料理を作るのも好きだ(たまにしかしないから、でもある)が、料理を作るのは単なる苦行という人もいるだろう。特に義務になったら嫌かもしれない。

食育という正論に、キツイなぁと思う人は、無理をしない方がいい。苦手なことを何とかしてゆくノウハウも大事だが、完璧主義は疲れるだけだ。

食育については、またちょっと考えてみよう。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私は断然サイバラ支持。

料理が好きで、得意で、時間があるおうちはいくらでも凝った料理を食べさせればよろしい。お金があれば、高級食材を買えばよろしい。

夫婦でフルタイムで働いているうちはどうよ?
料理が苦手な大人もいるんだぞ。

食事の用意や育児が、まだまだ「女の仕事」と思っている大人が大勢いるうちは、こんな空論は無意味。
昔はやった「三歳児神話」と同質のものを感じる。

fewzio さんのコメント...

晩婚化・非婚化している状況に、追い打ちをかけるようで、多少言いづらいのだけれど、昔と違って、夫婦の役割分担はあらかじめ決まっていないのだ、ということを、男も女も肝に銘じるべきだと思いますね。○○してくれる筈だったのに、とか、△△するのが当然、というのは一旦チャラにして考えたがいい。まぁでも、共同作業がうまく行くようになれば、1+1が2よりずっと大きくなる。特に、子供が育ってゆくのを見るのは本当に喜ばしい。もし食育が大事だと思うのであれば、それを夫婦で相談して、家族全体でどうやってレベルアップをはかるか、アイデアを生み出す必要があると思います。一人でできるようなことじゃない。そうやって考える内に、もっと優先度の高いことが見つかれば、諦めるしかない。ど根性で困難を乗り越えるといった精神論が通用しないように、主婦の責任感に問題を押し込んでもダメだよね、そりゃ。

匿名 さんのコメント...

キャラ弁が流行りだしたとき、うちの子が(給食のある)小学校に上がっててよかった! と胸をなでおろしたATです。

ところでネット社会になってより頻繁に目にするようになったと思うのですが、上の件も正論(?)とそれに対する一種極端な反論(?)の図式の一つですね。

「平日、子供に学校を休ませてTDL」で、何が悪いの?  ネットで賛否両論の嵐

http://trend.gyao.jp/life/entry-12923.html

発言小町でそういうやりとりがあったらしいのですが、なんというか、あそこは特に、そんなんわざわざ改めて是非を問わんでもいいことじゃないの? というネタが多いですね。日本人は曖昧に済ませるのが得意だったはずですが…見ていると世の中住みにくくなってるなあ、と思ってしまいます。西原女史にしても、本意は「母親はかくあるべき」という正論が過度に過ぎて圧力になっていることへの反発だと思うんですが。


ただし西原女史の物言いは、たぶん本人の意図でもあったんでしょうけど食育と本来関係ないはずのジェンダー論とを結びつけていて、しかもそれを一面でかえって助長してしまっているのが気になります。
「子どものために最大限リソースを割くのが母親の務めでしょ!」なんてこと、心の中で思っててもわざわざ口にする男性は今どきそう多くはないでしょう。口にするとしたら女性、子どものために実際に頑張っている女性たちでしょうから。そういう方々にとっては、あくまで「正論」であって社会的圧力とは捉えないでしょうからね。

fewzio さんのコメント...

コメントありがとう。極端から極端に振れる一種の衆愚的な状態の原因はいろいろあると思うけれど。昔なら井戸端会議とか、煙草部屋、酒の席で話されていたような話題が、ネットだと膨大な人に読まれるようになる、というのが一つ大きいと思います。時代の変化。

平日に学校を休ませてディズニーランド、には、まだ確かに抵抗あるな。でも、学校絶対という感覚も薄い。必要があれば子供を休ませるのに躊躇しません。

学校や、学校の先生の絶対性が、ものすごい勢いで凋落したのは、痛々しいほど。もっとゆっくりだったら対策も取れたろうに。私は、教育と福祉の仕組みは急に変えたらいけないという主張を持っています。