2009年9月25日金曜日

住みたい場所 住める場所

まだ、そんなに年ではないけれど、老後をどう過ごすかを考える。いや、未来のことを考えるのが好きなのか。この不況期に、今の仕事を放って、別のことを突然始める気はないけれど、一度きりの人生、ご機嫌に生きたいと思う。

よくイメージするのは、住む場所を変えるということ。ベートーベンは引越魔だったんだっけ。

田舎で生まれ育ったせいだろうと思うが、未だに東京に骨を埋める気がしない。東京は面白い、刺激的な街だ。人々の創意工夫、新規性の高さ、金の集まり具合が破格だと思う。アンテナさえ張っておけば、常に魅力的なモノに出会える。ただ私には、人の数が多すぎるし、過剰にモノがあるように感じる。騒々しく、空気が汚れている。

かといって、田舎万歳というわけではない。よく言う、田舎の狭い人間関係の面倒さ、逆に振れた時の疎外感も知らないではない。ただ、最近地方に行って、シャッター街を見ながら、一番困ったなと思うのは、日本の田舎がみな自動車社会になっているという点だ。自家用車なしでは生活必需品すら手に入らない、というのは、どっかで大きく間違ったとしか思えない。60代、70代で自動車を運転するのは当たり前だ。何故か。公共交通機関が無いからだ。あったとしても、生活の役に立たなくなっている。

コンパクトシティという考えが再来している。すでに多くの議論、批判がある。ネットを見ていて、代表的な批判と思ったリンクを以下に。
http://quolaid.blog13.fc2.com/blog-entry-814.html

このtakeo氏も、徒歩圏を中心とした生活区域を充実させる、こと自体には反対していない。コンパクトシティを名乗る計画の多くが、中心部の再活性化のため、郊外を捨てる、というのを批判しているようだ。

しかし、私は人の少ない田舎で、人々がまばらに郊外に住んでいる現状は、良くないと思っている。もちろんアルムおんじのように不便を覚悟で、離れて暮らす人はあっていい。強制移住など言語道断だ。ただ、バイパスを整備し、環状道路を作って、郊外に大型ショッピングセンターや病院を配置し、生活するのに郊外に住まざるを得なくしたのは、ほんの数十年前のことだ。

これから人が少なくなって行く。すでに多くの田舎では過疎化が進んでいる。不便無く生活したいが、自家用車をもたなくて良い、という年寄りが快適に住めるように整備の方向を変えるのに、私は賛成だ。そういう土地に住みたいと思う。

公共交通機関があっても、移動距離が長く、停留所が分散していれば、交通費・移動時間・待ち時間が長くなり、不便である。だから田舎ではみな自家用車を持ち、バスは使わない。これを回避するには、ある程度はまとまって停留所の近くに住んでもらいたい、とバス会社は思うだろう。

建築雑誌に、現代風の長屋などが紹介されていて、悪くないな、と思う。人間関係が面倒?そうかもしれないが、人間関係を忌避するというのは、高度経済成長期に植え付けられた価値観に過ぎないかもしれないよ。一戸建てを欲しがるのも、サブプライムローンのようなトリックでないと言いきれるだろうか。

色んな土地をうろうろするのも楽しいかもしれない。ただ、ある程度は長く住まないと、その場所の善し悪しはわからないと思う。住めば都とは、これまで何度も思った。

川が近くがいい。まわりは田んぼや畑かな。農業をする気はいまのところないけど。『セロ弾きのゴーシュ』のアニメ映画で出てくるゴーシュの家は、まさにボロ屋だが、なかなか快適そうだ。

とりとめなく書いてみた。




2 件のコメント:

ocean さんのコメント...

老後をどこで過ごすかは、ウチの夫婦でも、よくする話題のひとつです。
とりあえず、埼玉と大阪にマンションは持ってて、双方の実家に近い福岡も魅力的。だから三択。

むろん、車がなくても生活できる便利さが必須。(駅近、病院・スーパー至近)
幼い子どもがいると、子どもつながりで地域のコミュニティに入っていきやすいが、まったく見知らぬ土地だと、大変難しいことは周知の事実。

大阪は、空気が汚いことを除けば、上記の条件をすべて満たした上、保健所や図書館も同居した役所がすぐそば、大阪一の繁華街・梅田まですぐ。

ううん、どうなることか。

fewzio さんのコメント...

コメントありがと。
埼玉、大阪、福岡、いずれも都会ですね。
やっぱ、年取ったら都会かなぁ。
買い物、病院、役所、公共施設が徒歩圏で、公共交通機関に乗れば文化・エンターテインメントも近い。
日曜日に西荻窪を散歩して、お洒落なカフェやらたくさんの個性的な店で楽しみました。都会ならではですよね。
田舎がんばれ!