2012年1月8日日曜日
[ライフハック] 1日の活動レベル
一日の活動レベル推移
例えば私の一日の平均的な活動は以下となる。
00 睡眠
01 睡眠
02 睡眠
03 睡眠
04 睡眠
05 睡眠
06 起床、出勤準備
07 通勤、活動開始
08 活動 (レベル1)
09 活動 (レベル1)
10 活動 (レベル1)
11 活動 (レベル1)
12 昼食、休憩
13 活動 (レベル3)
14 活動 (レベル4)
15 活動 (レベル3)
16 活動 (レベル2)
17 活動 (レベル2)
18 活動 (レベル3)、通勤
19 帰宅、夕飯、家事
20 夕飯、風呂、娯楽
21 活動 (レベル4)
22 活動 (レベル4)
23 睡眠
ここで活動のレベルとは、どの程度集中して生産的なことが効率よくできるかを表している。
活動のレベルと適した活動
レベル1
- 08:00-12:00 4時間
- 高い集中度で、効率よく活動できる。論理的に整理・判断したり、クリエイティブなことを考えることができる。
- 適した活動:プランニング。問題の整理。難しい問題に取り組む。手をつけていない重たい仕事に着手する。
レベル2
- 16:00-18:00 2時間
- それなりの集中度で、効率よく活動できる。プログラミングや、ネットでの調査などが捗る。ただしレベル1ほどの積極性は期待できない。
- 適した活動:プログラミング。根気のいる調査。同僚との短時間打ち合わせ。
レベル3
- 13:00-14:00, 15:00-16:00, 18:00-18:30 2.5時間
- 生産的な活動は可能だが、集中力は切れがち。眠くなったり、腹が減ったりと、継続した活動が難しい。体を動かす、面白みのある活動に向いている。
- 適した活動:打ち合わせ。物作り。パソコンのセッティング。PC・ネット環境の整備。バックアップ。物品購入手続き。出張旅費精算。
レベル4
- 14:00-15:00, 21:00-23:00 3時間
- 集中した活動は不可能。体は食物の消化や睡眠準備のモードにある。頭にあることを書き出したり、アイデアノートをぼんやり描いたり、絵を描いたり、エンターテインメント活動は可能。無理に集中作業をしようとしても効率が悪い。くつろぐのが良い。
- 適した活動:音楽鑑賞。頭にある内容の棚卸し。日記。映像鑑賞。家事。
午前、午後それぞれの過ごし方指針
私にとって、午前中はとても重要な活動時間であるため、ここをいかに確保し、活用するかはとても大きい。メールチェックや新聞を読んだりするのには使うべきでない。ただし同僚との挨拶や声かけは、これもまた大事なので、15分ほどをコミュニケーションにあてて、さっと活動に集中するべきだ。
一方で、午後は時間は長いが、活動レベルはかなり低い。また電話や打ち合わせなど集中を妨げる邪魔も入りやすい。そのため午後はこま切れにしないことが大事だ。もともと集中しづらいのに、こま切れの活動をすると、何もしない内に終わってしまう。午後の活動は大きく一つとし、打合わせなどは適宜入れることとする。
実際に未来のカレンダー(iCal, Google Calendar)に、レベル分けして書きこんでみて、いくつか気づいた。
- 午後は16時までのと、16時から退社までの2つに分けて考える。
- 夕方遅くは、とりあえず勘定に入れない。
- 出張や打ち合わせが入ると、活動レベルが大きく低下するため、想定通りには活動できない。
2011年11月24日木曜日
HDL-XRのディスク換装
同じく価格.comの以下のエントリ(10813868)
http://bbs.kakaku.com/bbs/K0000038029/
それと、2chの以下のエントリ(732, 733, 734)
http://logsoku.com/thread/hibari.2ch.net/hard/1260770068/
・交換用のHDDベアドライブ4台
・ディスクコピー機
・Winows 7 PC
2011年11月19日土曜日
お気に入りカフェに共通するのは?
2011年8月12日金曜日
有川浩がコロボックル物語を書くらしい
http://blogs.yahoo.co.jp/f15eagledj0812/archive/2011/8/11
によると、佐藤さとるの依頼を受けて、コロボックル物語の世界での、新しい物語を有川浩が執筆することになったらしい。上記の彼女のブログ記事が事情をよく伝えていてわかりやすい。佐藤の書いた物語とは全く別のものになるだろうが、確かに彼一人で終わらせるのはもったいないと思う。多少玉石混交であっても、色々な作品が出て、新しい分野を切り開いてくれれば、あの物語に深い思い入れを持つ読者の一人として嬉しい。
ところで勝手に妄想をふくらませるのは自由なので、さて私なら何を書くだろうか? まずは村上勉の強く印象的なイメージを頭から消して、全く別のイメージを持つところから始めるだろう。あれは魅力的すぎる。たぶん私なら、2011年の日本を舞台にコロボックル世界の位置づけを正確に想像して描くだろう。
2011年7月11日月曜日
飛行船通信を休止して1年
すでにネットでは、twitterであるとか、facebookであるとか、ソーシャルと呼ばれるステップに入っていて、メーリングリストは、多くの人のネット生活時間に割り込む余地がなくなっているように思う。面白げな情報はRSSリーダーで続々と入ってきて、それを流し読みするだけで時間がなくなる。
あっさりと飛行船通信もソーシャルな世界に移行すれば良かったのだろうか?それはわからない。また自分の時間がもう少し取れるようになったら立ち上げてみてもいいかもしれない。
実を言うと、メーリングリストというメディアが、飛行船通信のスタイル合っていたようにも思う。適度な距離感、手紙のやり取りに似た間のとり方。もしかすると、あえてオールドメディアに回帰して、会誌のような形にした方がいいのかもしれない。投稿を募って。どこで募ろうか。
職場でWIKIを使っていて、熱心に書きこんでくれるメンバが増えて、なかなか面白い状況になっている。ただ、それも日頃、面と向かって顔をあわせているから上手くいっているようにも思う。遠隔地に離れた忙しい者同士では難しい。
私が勝手に次の姿だと思っているのは、位置情報アプリ、ロケーションアウェアである。通信員は、日本各地、世界各地にいて、本屋、美術館、映画館、カフェ、公園、などいろんな場所で、出会った本や人、もの、作品の話題を、通信文として送り合う。場所の離れた通信員同士が、雰囲気を空気を遠隔で共有する。そうやって共有した情報をキーとしてサイトが構築され、そこに少し長いエッセイや、レビュー、もしかすると短編小説などが紛れ込んでいる、そんな感じ。自然におしゃれな雑誌が出来上がっていくような、そういうのって難しいかな。
iPadでFlipboadを使っていると、案外難しくないんじゃないか、と思えてくる。雑誌に書きこんで、自分も参加するような。みんなでスクラップブックを作るような。
2010年11月24日水曜日
Apple TVで『長靴をはいた猫』を見る
1969年公開だから、41年前のアニメ映画。映像が綺麗(HDだった)で、話も楽しくいいね。子供のころ、テレビで見たっきりだったから、ほんと久しぶりだった。わくわくするなぁ。魔王はほんと可哀想、ペロは酷い猫だねぇ。しかし、この40年間、アニメの技術は進歩したんだろうか?と思った。そうそうたるスタッフだし、安作りの今のアニメと比べてはいけないのかもしれないが。見ていて安心できる作画、丁寧な動き。ちなみに終盤の追っかけシーンは、『ルパン三世 カリオストロの城』にほんとそっくりだと再確認した。
AppleTVなかなかいい。
2010年10月3日日曜日
十三人と七人
先月末に封切りの『十三人の刺客』を見た。面白かった。迫力だった。
ただ、後味があまり良くない。ヤクザ映画のような虚しさ、無常観が、作り物めいた設定と重なって、ざらりとした後味の悪さを残した。とても良くできた映画で、役者たちの動き、表情、登場人物の個性が生きていて、特撮やセット撮影の迫力も堪能でき、時代劇風の雰囲気もたっぷり味わえた完成度の高い大型娯楽時代劇映画だ。だが、私はどうも、時代劇なるものに、後味の良さを求めているらしいことに気づいた。今まであまり意識したことがなかったのだが。では、その後味の良さとは何か。
この映画はリメイクであるし、さらには当然ながら黒澤の『七人の侍』に大きく影響を受けている。ただ、『七人の侍』を映画史に残る名作にした要素の一つが、どうもこの『十三人の刺客』の侍には無い。それは「気品」だ。昨晩、『七人の侍』を家で見返して、この映画では背筋の伸びるような気品が、端々に表現されていることに今更ながら気づいた。出てくる侍たちの身なりや服装はボロボロで落ちぶれている。だが、そのキリリとした立ち居振る舞い、考え方の背後にある倫理と生き様の水準の高さが、気品を感じさせる。
時代劇は一種のファンタジーだ。アーシュラ・K・ル=グウィンが、『夜の言葉』の「エルフランドからポキープシへ」で語ったように、私たちが生きている世界とは別の世界を、文体の力で創り上げるものだ。ファンタジーの文体の重要な要素の一つがまた、気品である。剣や魔法、ドラゴンを単なる戦争の道具、戦いの道具とするのでなく、彼らにとっての信義・倫理を具現化するものとみなす。その屹立する大樹のような精神性が、ファンタジー世界に気品を与える。
『十三人の刺客』は、時代劇でありながら、時代劇の文体を切り捨てたところにオリジナリティがある。では時代劇で描く必要があったのか?いや、時代劇というフレームの大きさが、この完成度の高い娯楽映画を生んだのだろう。いわゆる時代劇だと思って見るから、私のような勘違い者が出てくる。必殺などと同じく、新しいサブジャンルなのだと考えるべきなのだろう。

