2015年8月7日金曜日

ジョン・マクタガート「時間の非実在性」と生物の生存戦略との関連について

 娘から教えてもらって調べてみた。マクタガートという人が昔(1908年)に書いた論文の話であった。最初は何のことを言っているのかわからなかったが、色々調べてみて、最終的には入不二氏による、以下のメモを読んでやっとわかった。
 私が混乱した理由は、自分勝手に解釈している人が多数いたためだ。勘違いしているというよりは、自分なりの視点で取り上げているだけなのかもしれないが。
結論から言うと、上記メモにある
 「時間は決定的に相容れない二つのリアリティによって構成されている」
というのが、もっともしっくり来る。
 マクタガートが最初に言った内容は曖昧で、いろんな解釈を生んでしまう余地があった。しかし、彼が感じていた混乱は、多くの人に共感される内容で、その意味で本質的だった。そのため、多くの人が自分に引き寄せて、その混乱を解消しようと努力した、ということのようだ。
 マクタガートは、その混乱のことを、矛盾と呼んだ。Wikipediaでは、「矛盾もしくは説明するのに不足」と弱められている。ただ、どちらかというと、矛盾の方が近い。
 マクタガートは
 「出来事について、過去・現在・未来は、両立不可能かつ両立可能」
という矛盾がある、と言っている(上記の入不二氏のメモによる)。
 以下、出来事をeと略する。未来のあるeは、現在になり、過去になる。つまりeは未来にも、現在にも、過去にもある。これが両立可能という意味である。私の51歳の誕生日e51は現時点では、未来の出来事だが、今年の11月2日には現在になり、来年には過去になっている。この時間感覚、出来事の変化という感覚は、我々にとって確かな実感=リアリティがある。
 一方で、同じeが、未来と現在と過去に同時にあることはできない。今という時点では、どれかにしかなれない。これが両立不可能という意味である。
 もう少し私流に補足すると、私たちは現在しか観測できない。今にしか生きられない。いま観測している出来事eが、かつて未来にあったというのは空想に過ぎない。いま目の前にeがあるので、きっと未来なる所にあったものが、やってきたと勝手に空想しているに過ぎない。さらにはこれからeは過去になる、と言っても、それは私の記憶の中の話でしかない。この実在するのは、今しかないという感覚、これも確かな実感=リアリティである。

 川を流れる桃で喩える。川の流れを時間とする。川の上流にあった桃が、流れてきて、洗濯をしているおばあさんの目の前に現れて、放っておけば下流に流れていく。この、桃が上流にあった筈、目の前にある、下流にあるようになる筈、というのが、両立可能性である。
 一方で、おばあさんは目の前に現れた桃しか観測できないため、上流にあったはずとか、下流に流れた筈、というのは想像の世界でしかない。少なくとも目の前に桃がある時には、上流や下流には同じ桃は無い筈である。桃は一個しか無い。これが両立不可能性である。
 桃が一個しか無いというリアリティと、桃が上流・目の前・下流にある筈というリアリティは、どちらも強力である。
 時間なるものが実在する、というのを極端に拡張して述べると、上流世界と、目の前世界と、下流世界というのが存在する、ということである。これは空間に関しては矛盾を生じない。しかし、時間に関して言うと、未来世界と過去世界が存在する、ということである。
 SFのタイムマシンの話で出てくる、タイムパラドックスは同じことを言っている。もし過去世界が実在するなら、タイムマシンで過去に私が行って、私を殺すことができる。そうすると、私は存在しないことになるため、私は過去の私を殺せない。つまり矛盾を生じる。これは過去世界が実在するという前提が間違っている、という結論になる。
 しかし私たちは過去世界があるような気がしてならない。同じようにセワシくんがやってくる未来世界があるような気がしてならない。どうしようもないリアリティがある。過去の自分というのが実在する、ような気がする。強くそう思う。明日の自分が実在するような気がする。これも強く感じる。
 一方で、今しか無いという感じも厳然として強くある。過去や未来は頭の中の話だ、という声が強く聞こえる。感じられる。


 この話と、ジェフ・ホーキンスが述べていた人間の脳に関する仮説は、関連が深いと私は考える。(「考える脳 考えるコンピュータ」ジェフ・ホーキンス(2005))

彼は、大脳の新皮質の主要な機能は、経験したデータを蓄積して、未来を予測することだ、という仮説を提案している。生物にとって未来を予測するのは極めて重要な能力である。上から落ちてきた岩が自分に直撃する、ということを予測できないとペシャンコになって死んでしまう。死んだ仲間は、この世にいないので、死ななかった仲間、岩を避けられた生物が、我々の祖先になっている。
 つまり、生物にとって過去のデータをしっかり蓄積して、起こりうる未来を正確に予測することは大事だということである。私たちの新皮質はそれに特化した柔軟な能力を備えている、という仮説である。
 私たちにとって時間の存在がリアリティを持つのは、この新皮質の特性によると私は考える。
 同時に、過去は私たちの適当な記憶で構成されており、未来は予測の中にしかない、つまり確実性が低い。この事実も、私たちの脳に強く刻み込まれている。疑いもせずに過去や未来を信じると、大きなリスクを背負い、やがて死滅する。常に予測不可能な余地を残しておかないと、急変に耐えられない。これが、今しかない、と感じる私たちの強いリアリティの根拠だと思う。
 つまり、人間は生き残るために、時間という捉え方の重要性も十分に理解している。一方で、今しかないという捉え方、過去や未来は不確実という捉え方の重要性も理解している。この突き詰めると矛盾する二つの納得が、頭の中に混在してる。これがマクタガートの感じた矛盾の正体だと私は考える。


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